
誰もがデータで消費者を理解できる世界。技術とリサーチの専門性をあわせ持つアルチザンたちが、AI時代のリサーチの新しい基準を示します。
クラフトとは何か
社会学者リチャード・セネットは、クラフツマンシップを「仕事そのもののために、仕事をうまくやり遂げようとする欲求」であり、持続的で基本的な人間の衝動だと定義しました。[1] つまりクラフトとは、特定の技術ではなく、品質に対する態度です。誰も見ていなくても、結果に表れなくても、最善を尽くすこと。セネットの定義は、ひとことに収まります。「自分だけは、知っている」。
クラフトはリスクのあるところに宿る
家具デザインの理論家デイヴィッド・パイは、「リスクの仕事(workmanship of risk)」と「確実性の仕事(workmanship of certainty)」を区別しました。[2] 手で鉋をかければ、一瞬一瞬の結果は作り手の判断にかかっています。しかし工場のプレスで打ち抜けば、結果は機械によって保証されます。クラフトは前者、つまり結果が一瞬ごとの判断と熟練に依存する仕事に宿ります。
では、技術の進歩はクラフトを消してしまうのでしょうか。そうではありません。技術がある作業を「確実性の仕事」に変えるたびに、クラフトの居場所は移動します。たとえば鉋がけが自動化されたとしましょう。一瞬ごとの判断に宿っていたクラフトは、どの木を選ぶのか、どんな形であるべきかという、より上位の判断へと昇っていきます。
クラフトの本体は、言語化されていない知識
クラフトの話を始めると、暗黙知に触れずに通り過ぎることはできません。人間の経験と知識は、言葉に完全に移し替えられることは決してない、という考えです。哲学者マイケル・ポランニーは「私たちは、語れることよりも多くのことを知っている」という一文で、暗黙知(tacit knowledge)という概念を提示しました。[3]
職人とは、マニュアルに従う人ではなく、マニュアルに書けないことを知っている人です。一万回の反復がつくるのは作業の速さではなく、「何かがおかしい」と感じ取る感覚です。だからクラフトの核心にある能力は、つくることではなく、見抜くこと。良いものと、それらしいものを見分ける目です。
クラフトの完成は、引き算にある
工芸の頂点に、朝鮮白磁があります。シンプルな線と白い色だけなのに、私たちは白磁に普遍的な美しさを感じます。ピカソのような偉大な画家の絵は、歳を重ねるほどシンプルになっていく傾向があります。無数の試みの果てにわかるのは、何を足すかではなく、何を引くか。初心者はできることをすべてやり、熟練者はやらないことを知っています。
よくつくられたものは、なめらかであるがゆえに簡単そうに見えます。しかしその中には、無数の思考と決定と経験が圧縮されています。クラフトとは、結果からは見えない判断の総和なのです。
AIの登場以来、あらゆる産業が「置き換えられるもの」と「残るもの」について語っています。鉋がけは急速に自動化されつつあります。しかしパイの区別に立ち返れば、自動化のあとに技術が持っていけなかった上位の判断を下せるのは、結局のところ、鉋をかけたことのある人です。良いものとそれらしいものを見分ける目は、身体に積もった感覚から生まれるからです。だから逆説的に、今こそクラフトを語るのに最良のタイミングだと私は考えています。
そして、私がこの15年間見つめてきたリサーチ業界は、この話がとりわけよく当てはまる分野です。
リサーチのクラフトとは何か
見えないところに積み上げたものにある
ぐらつきそうな椅子には、誰も座りません。危ないのは、まともに見えてネジが一本抜けている椅子です。リサーチも同じで、データさえあれば回答率も出るし、チャートも描けるし、レポートも完成します。成果物だけを見て、良いリサーチと悪いリサーチを見分けることはできません。
裏を返せば、良いリサーチの品質もまた、見えないところに積もっているということです。問題を定義し、言葉を選び、解釈の質をつくる小さな判断たち。この判断は理論からではなく、肩越しに、プロジェクトを重ねながら身につけた感覚から生まれます。言い換えれば、リサーチにはいまだ文書化されていない暗黙知が多く残っているということでもあります。これが、リサーチにおいてクラフトが重要である理由です。
(同時に、クラフトを語ることが難しい理由でもあります。暗黙知の差は、目に見えるものではないからです。)
問題定義のクラフト:問題を正しく定義すること
統計学者ジョン・テューキーの有名な言葉があります。間違った質問への正確な答えより、正しい質問への近似的な答えのほうがはるかに良い、というものです。[4] リサーチにおける最大の失敗は、間違った答えではなく、間違った質問への正確な答えです。
「この広告は良いですか」と聞くべきときと、「この広告を覚えていますか」と聞くべきときを見分けること。データを依頼してきた人の質問の裏に、どんな意思決定が隠れているのかを問い返すこと。この問題定義の力こそ暗黙知の領域であり、長いプロジェクト経験を通してのみ育ちます。
設計のクラフト:一語の重さを知ること
調査設計とは、定義された問題を質問に変換する仕事であると同時に、回答者の頭の中で起きることを事前にシミュレーションする仕事です。一語が結果を変えます。Pew Research Centerの実験では、地域に「仕事(jobs)」が十分にあるかと聞くと60%がそうだと答えましたが、「良い仕事(good jobs)」が十分にあるかと聞くと48%に下がりました。[5] 同じ政策でも「禁止すべきか」と聞くか「許可すべきか」と聞くかで回答が変わることは、調査方法論において数十年にわたり検証されてきた古典的な現象です。[6]
質問の順序が生むプライミング、選択肢がそれとなく示してしまう「普通の範囲」、回答者の疲労がデータを汚染し始める地点。調査を設計する人は、そのすべてを先に見通しておかなければなりません。良い調査票が短いのは、手を抜いたからではなく、引けるものをすべて引いたからです。
解釈のクラフト:データが語ることと語らないことを知ること
数字を読む力ではなく、数字の限界を知る力です。このサンプルで語れる範囲への認識、統計的には有意でも実務的には意味のない差、回答者が「言ったこと」と「実際にすること」の間にある隔たりを知ることです。
解釈の失敗には二種類あります。データが語っていないことまで語ってしまう誇張と、データが語っていることを語らない回避です。良いリサーチャーはその間に立ち、データが語っていることを理解し、データを使う人がより良い判断を下せるように通訳しなければなりません。これは、レポートを書いて読み手に判断を委ねることよりも、はるかに多くの力量を必要とします。
責任のクラフト:回答者を忘れないこと
データの向こう側には、貴重な時間を差し出してくれた「人」がいます。良いリサーチャーは、回答者の時間を尊重する調査の長さ、答えられる質問だけを聞く礼儀、回答体験そのものの質を考えます。
これはリサーチャーが持つべき倫理であると同時に、良いデータを得るための方法論でもあります。退屈し、疲れた回答者は人間ですから、不正確な答えを残すことがあります。もちろん、回答者に配慮しなくてもデータは集まります。ただ、そのデータが信頼できる答えになってくれるかどうかは、別の問題です。
信頼できる答えと、それらしい答え
ここまでの話をつなげてみると、リサーチのクラフトとは、良い答えをつくる技術である以上に、信頼できる答えとそれらしい答えを見分ける能力なのだと思います。そしてその能力は、品質に対する態度から生まれます。レポートに表れなくても言葉を選び、回答者に直接会うことがなくてもその人のために設計する。「自分だけは、知っている」という態度です。
次の記事に進む前に、はっきりさせておきたいことがあります。私が語っているクラフトは、古いやり方に固執することではありません。技術が自動化されるたびにクラフトが上流へ昇っていったように、道具が変わっても守るべきものは、方法ではなく基準です。新しい技術を受け入れながら、基準を守ること。それは、道具を自らつくる人たちにこそ最もよくできることだと、私は信じています。
Opensurveyは、アルチザンが積み上げてきた経験と感覚を、誰もが使える道具に移し替える仕事をしています。クラフトとは結果からは見えない判断の総和だと書きました。だとすれば、クラフトを語るということは、その見えない判断を見えるようにすることでしょう。Craft of Researchでは、リサーチと、リサーチのための道具をつくる過程の無数の決定を記録し、公開していきます。
次の記事ではこの問いを扱います。リサーチのクラフトは、これからどこへ移動するのか。他の産業にその手がかりを探しにいきます。
参考文献
[1] Richard Sennett, The Craftsman, Yale University Press, 2008, p. 9. 邦訳:リチャード・セネット『クラフツマン』(高橋勇夫訳、筑摩書房、2016年)
[2] David Pye, The Nature and Art of Workmanship, Cambridge University Press, 1968. 第1章。
[3] Michael Polanyi, The Tacit Dimension, Doubleday, 1966, p. 4. 邦訳:マイケル・ポランニー『暗黙知の次元』(高橋勇夫訳、ちくま学芸文庫、2003年)
[4] John W. Tukey, "The Future of Data Analysis," The Annals of Mathematical Statistics 33(1), 1962, pp. 13-14.
[5] Adam Hughes and Bradley Jones, "'Good jobs' vs. 'jobs'," Pew Research Center, January 29, 2019.
[6] Donald Rugg, "Experiments in Wording Questions: II," Public Opinion Quarterly 5(1), 1941. Bregje Holleman, "Wording Effects in Survey Research," Journal of Quantitative Linguistics 6(1), 1999.
Opensurvey
Opensurveyは、AIリサーチテック企業です。リサーチの企画からデータ収集、分析まで全プロセスをAIでつなぎ、プラットフォーム、リサーチ専門家サービス、消費者パネルをあわせて保有しています。サムスン電子、P&G、CJ第一製糖、ウアハン兄弟(配達の民族)など、時代をリードする企業とともに歩み、この14年間で約3,000社の企業顧客、25,000件のプロジェクトを遂行してきました。ISMS-P、ISO/IEC 27001・27701、ISO 20252認証、そしてESOMAR正会員資格を通じて、セキュリティとリサーチ品質のいずれも国際基準を満たしています。
データスペース(Dataspace)
データスペースは、オープンサーベイが提供するAIベースのコンシューマー・インテリジェンス・プラットフォームです。リサーチの文脈を理解するオーケストレーターと、段階ごとの専門エージェントが、企画からデータ収集、分析、インサイトのレポーティング、共有まで、リサーチの全プロセスに寄り添います。統計演算とAI推論を分離したDual Layer構造により分析の正確性を確保し、すべてのインサイトには実際の消費者回答に基づく根拠が併せて提示されます。韓国を含む20カ国の消費者パネルと接続でき、自社顧客を対象に直接データを収集したり、CRMなど外部プラットフォームと連携するAPIも提供されます。データスペースに蓄積された消費者データとリサーチの文脈は、企業のインテリジェンス資産として残ります。これを基盤に、自社ブランドに特化した合成消費者を構築して対話を交わし、市場の反応を予測することもできます。
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